2009年10月29日木曜日

任天真



任天真(てんしんにまかす) 良寛
 
良寛の生き方をあらわした言葉です。
良寛は「私は出世することなど興味は無い、迷いだの悟りだのどうでもよく、
まして名誉や利益などには関わりが無い。ただ自然の道理に身を任せて生きている。」
と言われたそうです。
良寛のようには行かないまでも、
せめて私たちは私利私欲に振り回されないで人生を楽しみたいものです
 
 
近藤朱鳳
 
 

2009年10月28日水曜日

八風吹不動



八風吹不動(はっぷうふけどもどうぜず) 寒山詩
 
八風とは人の心を惑わせる八つのものとされ、
どんな風が吹きつけようと確固たる信念、不動の心で自分を信じて生きよという、強いメッセージです。
 
 
近藤朱鳳
 
 

2009年10月27日火曜日

この道や



この道や 行く人なしに 秋の暮(松尾芭蕉)
 
 
近藤朱鳳
 
 

2009年10月26日月曜日

一切有為法 如夢幻泡影



一切有為法 如夢幻泡影(いっさいのういのほう むげんほうようのごとし) 金剛般若経
 
全ては留まることのない風の中にあります。
夢幻のような世の中であるからこそ精一杯生きることに意義があるのです。
命有る限り、夢を持ち続けたいと思います。
 
 
近藤朱鳳
 
 

2009年10月25日日曜日

廓然無聖



廓然無聖(かくねんむしょう) 達磨大師
 
廓然(かくねん)として聖も成しと言う意味で、
廓然とは広々として澄み切った世界。
達磨大師は仏の世界について聖も凡も無い、からりとした世界だと説いておられます。
一切の価値判断も、煩悩も、執着も持たなければ争いも起きません。
小さなことにくよくよ悩んだとき、思い出したい言葉です。
 
 
近藤朱鳳
 
 

2009年10月24日土曜日

二つ三つ



二つ三つ 木の実の落つる 音さびし(正岡子規)
 
 
近藤朱鳳
 
 

2009年10月22日木曜日

眼横鼻直



眼横鼻直(がんのうびちょく) 道元禅師
 
道元禅師が宋で悟りを開いて、「眼横鼻直」言う意味深い言葉を述べられました。
眼は横、鼻は縦であること同様、真理とは複雑な表現や理屈の中にあるのではなく、
当たり前のことをあるがままに受け止めることにこそ存在するものだと説いています。
 
 
近藤朱鳳
 
 

2009年10月21日水曜日

放下著



放下著(ほうげじゃく) 趙州従諗禅師
 
肩書き、地位、お金。
捨ててしまえば楽になるのに、年をとるほど、こだわりや荷物が増えていきます。
一度手に入れたものを捨てるのは、とても難しいことです。
何かに執着すると、本当の世界が見えなくなります。
趙州の「捨てたと言う意識も捨てる」と言う教えは何と素晴らしい言葉なのでしょう。
書いてみて感動します。
こういう生き方こそ目指したいものです。
 
近藤朱鳳
 
 

2009年10月17日土曜日

自浄其意



自浄其意(じじょうごい) 禅語
 
自らその意(こころ)を浄(きよ)くせよという、仏の教えを言う言葉です。
当たり前のことであるのに行うことはとても難しいことです。
禅の修業も、この意味を実践するものなのだと思います。
 
 
近藤朱鳳
 
 

2009年10月15日木曜日

啐啄同時



啐啄同時(そったくどうじ)
 
「啐」は生まれ出ようと雛が卵の中から殻を破ろうとすること。
「啄」は親鳥が外からくちばしで殻をつつくこと。
絶妙のタイミングで物事がうまく行く事の意味です。
機を逃さないために、まわりの状況を正しく理解する必要性を忘れずに。
 
 
近藤朱鳳
 
 

2009年10月13日火曜日

新聞掲載情報

大阪 市政新聞に掲載されている朱鳳先生の作品をアップします。
(画像をクリックすると拡大します。)
 
8月10日
味無味(味無きを味わう)

9月15日
竹聲松影(ちくせいしょうえい)

10月5日
天高氣清(天高く氣清し)

2009年10月10日土曜日

一刻千金



一刻千金(いっこくせんきん)
 
知らず過ぎてゆく時をふり返って、無駄に費やしたときの重さに驚愕することがあります。
この言葉は、それを戒めた言葉です。
一瞬一瞬を大切に、見えない一歩を積み重ねてゆきたいものです。
 
 
近藤朱鳳
 
 

2009年10月8日木曜日

秋風の



秋風の しずかに吹きて 手賀沼は 神棲むごとく 輝きて暮ゆ
 
近藤朱鳳
 
 

2009年10月6日火曜日




 
人との出会い、物との出会い。
景色や音楽との出会い。
人は様々な「であい」の中で感性を培って生きています。
良き波動の響鳴を良き明日につなげたいものです。
 
 
近藤朱鳳
 
 

2009年10月4日日曜日

手賀沼の蓮



内親王に 捧げし袱紗の糸となる 手賀沼の蓮は 夕日の中に
 
 
近藤朱鳳
 
 

2009年10月2日金曜日

遊心



遊心(ゆうしん)
 
「心が遊ぶ」 これは人がリラックスした、ゆとりの中で味わうことが出来るものだと思います。
そして、そのゆとりの中から見ることで今までと同じものでも新鮮に写ったり、
違う角度での発想を生み出したりすることに気付きます。
追われる様な忙しさの中でのゆとりのなさは一層狭い心に自分を押しやってしまいます。
そんな日常の中でのゆとりは自分で作るものかもしれません。
 
 
近藤朱鳳