2009年8月31日月曜日

静処景倶勝閑中趣自知



静処景倶勝閑中趣自知(静処ともに勝り閑中趣自から知る) 間適詩
 
静かな処は景色も良く、長閑で赴きもあります。
そんな中では心も自から穏やかになります。
慌しい毎日に会っては、ゆっくり自己を振り返ることもありません。
「忙中に閑あり」時には美しい景色に身をおいて、
自己を取り戻したいものです。
 
 
近藤朱鳳
 
 

2009年8月27日木曜日

不退転



不退転(ふたいてん)
 
転んでも退かない、勇猛精進して怠らないこと。
強い決心で目標をたてた以上は失敗さえも糧として突き進めと言う、
強いメッセージです。
 
 
近藤朱鳳
 
 

2009年8月26日水曜日

雲心月性



雲心月性(うんしんげっしょう) 孟浩然
 
淡白で無欲な様。
雲は常に形をとどめることなく、月は満ち欠けを繰り返しています。
人もそのように何かに執着する心を持たず、
状況に応じた自由な対応をしながら、
生きていくことが出来たらどんなに良いでしょう。
喧騒に満ち溢れた現実の中で、ふと思い出す言葉です。
 
 
近藤朱鳳
 
 

2009年8月24日月曜日

言中有響



言中有響(げんちゅうにひびきあり) 禅語
 
人は様々な思いを抱いて生きています。
何気ない言葉の中にも大きな意味や意図を汲み取る注意深さも時には必要です。
指導者的な立場の人には特に大切にしていただきたい言葉です。
 
 
近藤朱鳳
 
 

2009年8月23日日曜日

逆風張帆



逆風張帆(逆風に帆を張れ)
 
あえて逆風に帆を張って進むのは、至難のことだろうと想像されます。
けれど、この心境を持って事に当たれば、
必ず思いは果たせるのだと言う強い言葉です。
目標を持ち、しっかりと前を向いて一歩一歩自分らしく生きたいものです。
 
 
近藤朱鳳
 
 

2009年8月22日土曜日

一切唯心造



一切唯心造(いっさいゆいしんぞう) 仏語
 
私達を取り巻く全ての存在や現象は心が作り出していると言う意味です。
心が濁っていれば目に映る全てが濁って見えると説かれているように、
正しく美しい世界は清い心でないと生まれません。
独り善がりや思い込みが、嫉妬、恨み、怒り、苦しみを引き起こしてしまいます。
常に広い心と視野を持って、心安らかに生きたいものです。
 
 
近藤朱鳳
 
 

2009年8月21日金曜日

無可無不可



無可無不可(可も無く不可も無し) 論語
 
可も無く不可も無きとは、「良くも悪くも無い」と言う意味で使われますが、
本来は「あれは良い、これは悪い」と決め付けてはいけないと言う論語です。
「年だから」とか「才能が無い」など、言い訳をしないで、
自らを偏った考えから解き放ち、自由になりましょう。
あらゆる可能性が見えてきて日々が楽しくなりますよ。
 
 
近藤朱鳳
 
 

2009年8月20日木曜日

挨拶



挨拶(あいさつ) 禅語
 
人との出逢い、ふれ合いは挨拶から始まります。
禅では問答によって相手の仏法修行の深浅を計ることを言うそうです。
日常の一寸した挨拶もその人の生き方が現れるものです。
挨も拶も身を寄せ合って押し合うと言う意味があり、
相手の心を推し量ることに繋がって行きます。
挨拶一つで少なからず人間関係にも影響を与えます。
挨拶をいい加減にすることは人間関係を疎かにすることにもなりかねません。
常に気持ちの良い挨拶と笑顔を心掛けたいものです。
 
 
近藤朱鳳
 
 

2009年8月19日水曜日

隻手音声



隻手音声(せきしゅおんせい) 白隠
 
隻手とは片手のこと。
「両手を打てば音が出るが片手ではどんな音が出るのか」
これは修行僧が悟りを開く為に与えられた公案です。
頭で考えても到底答えの出ないこの難題に、
今、私達も取り組むときなのかもしれません。
世の中の声なき声を全身全霊で受け止めなければ、
先が見えて来ない気がします。
もっと、もっと、もっと真剣に。
 
 
近藤朱鳳
 
 

2009年8月17日月曜日

和敬静寂



和敬静寂(わけいせいじゃく) 禅語
 
日本人が最も大切にしてきたものとして、
「和の心」があげられます。
和の心で互いを認め合えば敬いが生まれ、
清らかで寂かな境地に至ると言う意味で、
茶道の心を示した言葉として有名です。
禅やお茶の世界だけにとどまらず、
どんなに時が変わっても忘れてはいけない四文字だと思います。
 
 
近藤朱鳳
 
 

2009年8月15日土曜日

上善如水



上善如水(上善水の如し) 老子
 
最高の善は水のように自然で、万物を益するものであると言う意味です。
己の善に従って無心で行動することが知らず周りに良い影響となれば、
それが人の理想の姿だと思います。
意図的に善悪を意識することは決して本当の善に繋がらないと言う教えです。
 
 
近藤朱鳳
 
 

2009年8月14日金曜日

絶學無憂



絶學無憂(學を絶てば憂い無し) 老子
 
「人生字を識(し)り憂患始まる」と同じで、
情報が多くなると返って色々と迷いが生じてしまいます。
元来、人に備わった五感を磨き、
自分を信じて行動していくことこそ大切なのだと言うメッセージです。
 
 
近藤朱鳳
 
 

2009年8月12日水曜日

大巧若拙



大巧若拙(大巧は拙なるがごとし) 老子
 
最高の巧技は、かえって拙劣、無技巧の様に見えるという意味です。
芸術の世界では特にわざとらしい技巧で奇を衒ったものや、
個性を強調する表現のものが多く見受けられます。
本当に価値あるものは、素朴さの中にあって心打つものです。
無為是佛心(むいこれぶっしん)と言う境地で生み出されたものこそが、
人の心を癒すものだと思います。
 
 
近藤朱鳳
 
 

2009年8月10日月曜日

妙言無古今



妙言無古今(妙言に古今無し)
 
世の中がどのように変化しても、
人が進むべき方向は常に真理に基づくべきで、
理屈や目先の損得によって、心動かされてはいけない。
こういう時代だからこそ、心したい言葉です。
 
 
近藤朱鳳
 
 

2009年8月6日木曜日

知白守黒



知白守黒(白を知りて黒を守る)
 
白を知りて黒を守る、雄を知りて雌を守る。
顕よりは玄を、剛よりは柔を。
老子の言葉です。
何かを成すにあたっては、その目的のみに焦点を合わすのではなく、
大局にも目を向け、対策を講じるべきである。
客観的に、全体的に、常に柔軟性のある視点を大切にしたいものです。
 
 
近藤朱鳳
 
 

2009年8月4日火曜日

好古



好古(こうこ、いにしえをこのむ)
 
昔を好む、昔をしのび慕う。
昔の聖人が伝えた道を愛好すること。
昔の素晴らしい教えを思い、学ぶことは良いことであっても、
しかし、昔にのめり込むことだけは慎重に考える必要があります。
刻々と変化している世の中で古(いにしえ)に固執し、
今を否定すべきではありません。
昔の経験や教えを如何に今に取り入れるか。
それこそが、”好古”なのだと思います。
 
 
近藤朱鳳
 
 

2009年8月3日月曜日



暫(ざん、しばらく)
 
暫は、しばらく、しばし、僅かの間、まもなく、などの意味があります。
何事に於いても「間を置く」と言うことはとても大切なことです。
予想外の事に出会ったとき、行き詰ったとき、
しばし間を取ると言うことは、日常生活のあらゆる場面で不可欠です。
会話の中の間、文章の中の間、舞台における間、芸術の中の間、
間の取り方一つで窮地が救われたり、客観的になれたりと言う効果も生じます。
人生の於ける、暫くと言う「間」を上手く生かしていきたいものです。
 
 
近藤朱鳳
 
 

2009年8月2日日曜日

大象無形



大象無形(たいしょうむけい)
 
本当に大きなものは、形をとらえることは出来ないと言うこと。
例えば、宇宙の大きさは形容の仕様がなく神秘的であり、
そこはあらゆる知恵と可能性に溢れています。
その無限の計らいに思いを馳せれば、
そこから人の一生のあり方も見えて来るかもしれません。
 
 
近藤朱鳳
 
 

2009年8月1日土曜日

悠然會心



悠然會心(ゆうぜんとしてこころにかいす)
 
ゆったりとして心が伸びやかで、更に楽しむ様。
飛び回る鳥のように自由な境地を言いいます。
そんな心境に慣れたらどんなに素晴らしいでしょう。
現実からそっと自分を切り離して、
心を遊ばせてみたいものです。
 
 
近藤朱鳳